神の恩恵は世の隅々まで働いています。
善き市民社会をつくるために、
人々と対話できる神学を目ざしましょう。
「われわれのエクレシア」で
互いに学び合う広場をつくりましょう。
待ち望みつつ!

私たちのテーマ

成人教育

キリスト教会では礼拝や祈祷会とは別の集会として、年代やクラスに分かれた教育やカウンセリングが行われているでしょう。それらは主として聖書や教理の学びや教派の信仰告白についての学びなど、主として信仰の成長のためになされるものです。
ここで掲げている成人教育とは、それらとは異なって、信徒が各人の職業上にぶつかる多くの課題について、神学やキリスト教思想に照らして互いに学び合う生涯教育の広場を意味します。

公共神学

公共圏において語られる神学ということです。
非キリスト者とともに善き市民社会をつくるために、異なる考え方をする人々と対話できる神学を目ざしています。 16世紀の宗教改革のモットーのひとつは「恩恵のみ(sola gratia)」ということでした。
現代生活にも人間の罪と悪は強くありますが、にもかかわらず神の恩恵は世の隅々まで働いている、こういう信仰のもとに、暴力や分断ではなく言葉(ロゴス)と和解の姿勢を確立するための神学です。

創造

美しい自然を見て神の創造を思わないキリスト者はいないでしょう。
聖書の初めの言葉、そして全体を覆っているのは創造者なる神の存在とリアリティです。
創造があるからこそ救済があります。
創造は人間の本性にも社会秩序にも、人間が作り上げる科学技術にも見られるものです。
ただ現代に顕著なのは、科学技術の高度化の中で、逆に人間の生命を脅かす危険性が増してきています。
公共神学の課題は、いかに「創造の回復」がなされるかです。

神の国

イエスは「神の国は近づいた」と宣教の第一声を告げました。
キリスト者は、このイエスを通してすでに来た、しかしいまだ完成していない神の国の福音に生きています。
「神の国」とは神の支配の及ぶところであり、地上のあらゆるところに関わっています。
この現実を、地域の教会から派遣された私たちは、それぞれに遣わされた場所(公共圏)において証しするために、世の哲学と対話し、非キリスト者と協働しつつ実践する。
そのために公共神学を必要としています。

終末観

聖書の説く終末とは別に、公共圏においても現代人一般の抱く不安が増大しています。
地域紛争がやがて世界大戦に発展し、グローバルな核戦争になってしまい死の灰が地球上に降り注ぐのではないか。また気候変動と温暖化の中で地球環境がさらに悪化して人類が住めない時代がやってくるのではないか……。
人々は、これらは自然的にもたらされたものではなく、産業革命後の人間の生き方の選択に原因があることを自覚しているにもかかわらず、改めるのが困難な状況を実感しています。

人権

すべての個人は人間として尊重されて、自由に思考し生きる権利を持つ。
これは国民として国の法によって保障される以前に、世界市民として保障されるべきものです。
当然のことですが、この事実は聖書の「神のかたちに人間が創造された」(創世記1章27節)ことが神学的な根本的理解であり、どのような人種であっても当てはまります。
とはいえ、人の持つ偏見や罪のためにこれが侵されている現実があります。
公共神学はその現実を明らかにしていくことが一つの役割です。

平和

「神との平和」は聖書の教えの根本ですが、そこから波及して、人と人との平和の達成は私たちの目標です。
イエスの「平和をつくり出す者」や隣人愛の教えは、あらゆる“構造的暴力”の除去への戦いに私たちを遣わしています。
日本国憲法の平和主義とヒロシマ、ナガサキ、フクシマの惨事を経験した日本人は、国際社会での使命をますます明確にしています。
世界の核施設の廃絶のための市民運動も、公共圏におけるわれわれの非キリスト者との協働の実践を促しています。

労働環境

労働は人々の衣食住の生活を成り立たせている基本であり、経済活動の根本です。
ただ資本主義がいきわたった世界で、厳しい競争の現実に国内外で貧富の差が大きくなっているのも事実です。
公共神学は神の正義という視点から、経済正義や環境正義を保たせるよう、公共圏における労働環境のあり方を探り、各自に与えられた能力に応じて働くことができる、公正な民主主義社会のかたちを非キリスト者と共に追求します。

国民幸福度

「各人は幸福か」、といったやや主観的な指標が毎年世界の国民への調査で発表されています。
かつてGDP世界2位を誇った日本がいまや一人当たりGDPでは世界34位であるだけではなく、ジェンダーギャップ指数においては世界118位です。
日本は人権が十分に保障された国ではありません。
福音とは本来、人間を幸福にするものです。内面の幸福から始まって外面の幸福へと、人間生活を神の恵みによって徐々に豊かなものにしていく、公共神学はそれを探っていきます。

ケアの倫理

聖書には大きく分けて二つのケア命令があります。
「被造物を管理・ケアせよ」(スチュワードシップ=創世記1章)
「傷ついた人を介抱・ケアせよ」(善きサマリア人=ルカ10章)
二つは、神の創造目的への応答と隣人愛の実践です。
特に、現代の終末観が強くなった時代に、被造世界と人間仲間に「痛み」が増大しています。
この痛みを緩和する、いわば終末期医療の「緩和ケア」的な働き、これが今日のケアの倫理なのです。

希望の神学

世界の将来が希望に満ちたものだ、とは言えないのが私たちの現実です。
人々の生きる意味と与えられた環境、幸福はそれぞれに異なるでしょうが、それでも何らかの希望を持ち続けたいと多くの人は思っています。
使徒信条には、神の右に座した主が「かしこより来りて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん」とありますが、これは世の完成のとき。
したがって世に働きかける公共神学は希望の神学です。